「この人についていけば大丈夫」と思ったけれど…
激務に疲れ果て、クリニックの院長に転身
呼吸器内科医杉本 有一(仮名)さんの場合
派遣先の指導医から「一緒にやらないか」と誘われ、医局を離れることを決意。「腕の立つこの先生についていけば間違いない」と転職を重ねたものの、さしたる成果を上げられないまま激務だけが続いた。そんな毎日にいつしか燃え尽きてしまい…。
—— わずか5年で、医局を離れたのはなぜですか。
これほど早い時期に医局を離れることになったのは、派遣先の関連病院で知り合ったA先生に「一緒にやらないか」と誘われたことがきっかけです。
A先生は私の指導医で当時45歳くらい。少し変わったところもありましたが、非常に優秀で腕が良く、学会での発表や論文の執筆などにも積極的な先生でした。なぜ私に声をかけてくれたのかは分かりませんが、「この人と仕事をしていれば医師として間違いなく成長できる」と思い、誘いを受けることにしたのです。
それに職場環境も魅力的でした。A先生は、私と同じ職場だった関連病院から他県のB病院へ移っていたのですが、B病院は都心部にある総合病院で、最先端の医療設備が整い、技術面でも進んでいました。呼吸器内科医としてスキルアップしていく上でこれ以上ない環境です。
母校は新設されたばかりで、研究体制が万全とは言い難い状況でした。私は博士号を取得したいと考えていたのですが、この状況では医局にいても博士号を取れる見込みは薄いと感じていました。当時、私は29歳。このままいいように使われるだけなら、A先生の下で臨床研究をした方がいいと考えたわけです。
退局の意思ははじめに講師の先生に伝えました。とても理解がある人で、「確かにこちらは体制ができていないし、そっちの方が刺激もあって、腕が上がるんじゃないか」とすぐに理解を示してくれて、ありがたかったですね。教授や医局長には散々慰留されましたが、最後は「行かせてください」と頭を下げて、何とか許してもらいました。
—— A先生とB病院で合流してからはどうでしたか。
結局B病院には半年しかいませんでした。頼みの綱であるはずのA先生が病院の中で浮いた存在になっていたからです。どうやら同僚の医師と対立してしまったらしく、私が赴任したときには窓際に追いやられている状態でした。A先生は人間的には決して悪い人ではないのですが、頑固で少し融通に欠ける部分があったかもしれません。
そんな事情もあってA先生はC病院に移ることになり、私もまだA先生に呼吸器内科医として学びたいことがあったので、ついていくことにしました。もっともA先生は、C病院に新設された呼吸器内科の責任者になることが決まっていて、「片腕を連れていきます」と勝手に私のことを話していたみたいですけど。
C病院には1995年から4年間勤務しました。途中、A先生が不慮の事故で入院することがあり、その時は1カ月半、1人で呼吸器内科を切り盛りしました。今となっては笑い話みたいなものですが、まあA先生にはいろいろ迷惑をかけられましたよ。
この頃はとにかく忙しかったですね。当直回数も多く、しょっちゅうポケベルで呼び出される。よく働いていました…。心底「疲れたなあ」と思う日々が続きました。
そんなこんなで燃え尽きてしまったんでしょうね。ちょうど医師になって10年という節目でもあったので、今後の身の振り方を考え始めちゃったんです。専門医や内科認定医の資格は取った。子どもの教育の問題もあるし、そろそろ落ち着きたい。A先生には世話になったが、これからは1人でやってみようかって。
—— 新しい勤務先探しはいかがでしたか。
当直でたまたま手にした雑誌を見ていて目に飛び込んできたのが、医師を専門にしている人材紹介会社の記事でした。さっそく家に帰ってインターネットでサイトを検索して転職の登録をしました。複数の紹介会社に登録していましたが、その中で、具体的な情報を一番出してくれていたので、メディカルキャストさんに相談をしていました。
随時案件を送ってもらう内に、1件、是非見学をしたい案件があったので、伺いました。都心のオフィス街にあるクリニックです。今のまま呼吸器専門でやっていくことも考えたのですが、ハードワークで疲労困憊の状態にあったことと、子どもの受験や自宅の新築などが同時期に重なったため、とりあえず落ち着くまでは今までと比べて時間的な余裕が持てるクリニックで働くことにしました。見学時に院長とお話をし、私の希望に適う条件を提示して下さったので、勤務を決心しました。
A先生にはもちろん転職前に相談しましたが、気持ちよく送り出してくれましたね。けんか別れにならず良かったです。
都心のオフィス街にあるクリニックで当直もなければオンコールもない。すごい解放感でしたね。年収はC病院の時の1300万円から1600万円に上がりました。2002年からはクリニックの院長として、6~7人のスタッフを束ねています。
—— 今後もクリニックで働き続ける考えですか。
働き始めたばかりの頃は呼吸器科の勤務医に戻ることも考えましたが、いったん最前線から離れてしまうと、どういう動き方をすればいいかとか忘れてしまうもので、今となってはその選択肢はありませんね。
おかげさまで現職場の経営母体の医療法人はしっかりしており、やりやすいです。医療というものをきちんと理解しています。今は置かれた環境で医師としてベストを尽くそうと思っています。